スピン角運動量

スピン角運動量という自由度は、軌道角運動量とは異なり、古典力学では説明できない概念である。
 
「スピン」といっても球のような電子が自転しているわけではないことに注意して欲しい。
 
スピンが見出されたのは、1896年に発見された磁場中でナトリウムの発光スペクトルが分離する現象(ゼーマン効果)が直接の要因である。
他にも、軌道角運動量の自由度だけでは説明できない現象が次々と見つかり、アインシュタインやボーアなど当時の大物理学者たちを悩ませていた。
 
はじめに、スピンの概念を思いついたのは、クラマース・クローニッヒ変換のラルフ・クローニッヒだったそうである。彼は1925年の初頭にスピンのアイディアを思いつき、綿密な計算をしてウォルフガング・パウリに打ち明けたところ、相手にもされず、そのアイディアを引っ込めた。
 
スピンの発見者として名を残しているのは、オランダのウーレンベックとハウストミットである。
彼らは、エーレンフェストのポスドクであり、二人で切磋琢磨して研究を行っていた。
彼らはスピンの着想をクローニッヒとは独立に得て、計算を進めて論文を仕上げた。
 

 

エーレンフェストはスピンと言うアイディアについて、確信が得られなかったので、すでに引退していたが、ご意見番として健在だったローレンツに伺いを立ててみた。
ローレンツは当初否定的な意見は述べず、興味深いアイディアなので、検討してみると引き取った。
 
やがて、ローレンツの最終的な意見がもたらされたが、それは否定的なものであった。このアイディアで行くと、電子の表面は高速を超える速さで自転をしていなければならず、相対性理論と矛盾すると言うことである。
それを聞いたウーレンベックとハウストミット真っ青になっただろう。
すぐにエーレンフェストのところに行って論文を投稿しないように頼んだそうである。
しかし、エーレンフェストはすでに論文を投稿していた。
 
そのとき、エーレンフェストが彼らに放った言葉がすばらしい
「君たちは十分若いんだから、馬鹿なことをやっても大丈夫だ」
 
つまり、なんかあったら俺が責任取る、ってことを言ったわけだね。